「生死をさまよう事故にあって以来、生き方に働き方を合わせるようになったんです」。強い意志と行動力を支える働き方論とは。ショーヘーさん – 突撃インタビューvol.3

「生死をさまよう事故にあって以来、生き方に働き方を合わせるようになったんです」。強い意志と行動力を支える働き方論とは。ショーヘーさん – 突撃インタビューvol.3

突撃フリーランスインタビューでは、現役で活躍しているフリーランスのリアルや意外な素顔に迫っていきます!

ショーヘー
【インタビュイープロフィール】
ショーヘー(@showheyohtaki)
東京フリーランス運営メンバー。
おしゃべり好きな28歳Webエンジニア。立命法→大手で営業職→1年で退社→未経験でIT系に転職→2年修行→フリーランスエンジニアになり4年目。PHP・Laravel・WordPressが専門。
バンコクで開催しているプログラミングスクール”iSara”の立ち上げに携わったり、30日でWEB制作のスキルを身に着けるブートキャンプ”30Daysトライアル”の制作を行う。

初芝
【インタビュアープロフィール】
初芝賢(@hatushiba_ken
東京フリーランス編集長。
現在はシステム開発のPMや新規事業に携わる一方で、フリーランスライターとして出版・キャッチコピー・WEBメディア連載などを手掛けている。
東京フリーランスではインタビュアーや司会進行を務めることが多い。

とだ
【たまに話へ入ってくる人】
とだこうき(@cohki0305
東京フリーランス運営メンバー。
営業から転職し、6ヶ月でリードエンジニアになったフルスタックエンジニア。
その後半年でフリーランスとして独立し、ブロックチェーン・機械学習の案件に携わる。
現在はフリーランスエンジニアの経験を活かして、「ゲスエンジニア」という名前でSNS・ブログ・YouTubeにて情報発信をしている。

プログラミングとは無縁。ダーツがきっかけでバックパックに目覚めた学生時代。

初芝
ショーヘーさんはWEBエンジニアのフリーランスとして活動されていましたが、学生時代からプログラミングをしていたのでしょうか?
ショーヘー
全然勉強しない法学部生でした(笑)
代わりにダーツバックパッカーばかりやっていました。
初芝
ダーツやってたんですか!?
初めて知りました!
ショーヘー
ダーツサークル立ち上げて、チーム組んでガチでやっていたんですよ。
実際、立ち上げて三年で二人プロが出ましたしね。
僕もプロ試験受けようかと思うくらい本気でやってました。
初芝
そのときから企画の立ち上げとかをやっていたんですね!ショーヘーさんらしいです。
ダーツはそのまま続けなかったんですか?
ショーヘー
一番調子が良かった時にアメリカにホームステイして、それ以来バックパッカーにハマったんですよ。
大学二年生の時、ダーツで仲良くなった人のところにホームステイをして。
僕はそれが初海外だったんですけど、文化の違いにすごく感動しました。
あと、お世話になった家族がお金持ちだったというのもあるんですが、ラスベガスのカジノに行って翌日に孫がその付近のバギー大会に出るみたいなのも目の当たりにして。
キャンピングカーにバギーを載せて移動するとか、不思議な光景でした(笑)
ショーヘー
でも、やっぱりアメリカは先進国なので色々整っていて。
日本と文化レベルで違うところ行きたいなと思うようになったんです。
それ以来、休みのたびに旅行とかバックパックをして、南米やウユニ塩湖とか色々行きましたね。
それで海外で働きたいという想いもこの頃に芽生え始めて。
初芝
ショーヘーさんは今でも東南アジアを始めとした新興国に行くことが多いですよね。
なぜ、先進国よりも新興国への関心が強いのでしょうか?
ショーヘー
ベースのないところで働くのが面白いと思ってるんですね。
日本はなんでも揃っちゃってるので。
だから、就活でも「日本がこれから海外で強みを持っていけるところにしよう」という軸で会社選びをしていました。
それでメーカーの産業用ロボットの営業として内定をもらいました。

就活を終えた矢先、生きるか死ぬかの大事故に。

初芝
おお!
それじゃ海外を旅してやりたいことが見つかって、そのまま就活も順調に終えたんですね!
ショーヘー
ところが、卒業直前、大学四年生の一月に大事故にあったんですよ。
一歩間違えていたら死んでいたレベルの。
初芝賢
!?
何があったんですか!?
ショーヘー
原付で普通に走ってたら、交差点で一時停止を無視したバンに横から突っ込まれたんです。
僕の身体の上にバンが乗って、肝臓が踏み乗られる形になって。
初芝
ええ!?
ショーヘー
しかも、それだけじゃないんです。
身体の上に乗って、そこでバックしてくれればよかったんですけど、ドライバーの方がブレーキを離してしまったんです。
よっぽど動揺していたんでしょうね。
その結果、バンが前に進んで顎まで踏みつぶされたんです。
初芝
……(絶句)
ショーヘー
それでも全治四か月で済んだのは不幸中の幸いでした。
警察にも「顎まで乗られたのに首とか損傷しないでよかったね。首から下が動かなくなってもおかしくなかったよ」と言われて。集中治療室入るレベルの怪我だったので。
それからしばらく入院生活をしていました。

“死”と直面して、世界の見え方がガラリと変わった。

ショーヘー
そこで、初めて”死”を意識したんですね。
病院のベッドで自分の人生についてよく考えるようになって。
「またいつ同じようなことがあるかわからないな。次も生き延びれるか保証なんて何もない。明日死ぬかもしれないぞ」と。
ショーヘー
そう考えたら、やりたいことをするのを早めたくなったんです。
内定先の企業で海外勤務したいと考えていたんですが、大手だったから海外へ行けるのには時間がかかることがわかっていたんですね。
30前になりそうだなと。
事故にあうまでは「そこまでは修業期間だな」と考えていました。
ショーヘー
でも、一度死に直面してからは「人生をそこまで修行に使っていいものなのか」と自問自答するようになったんです。
そう考えたら、生き方の枠も「大学を卒業して会社員になる」という選択肢一本しかないのは狭い考え方だったんじゃないかと。
当時は正解ルートがそれだけだと思っていた節があるんです。
ショーヘー
それまでは、世界をバックパックしながら生きている人達に「楽しそうだけど、生き方がふらふらしてて大丈夫かな?」と思うことがあったんです。
でも、彼らの方がよっぽど自由に生きてるなと。
世界の見え方が一変しました。
初芝
過去の体験それ自体は何も変わっていないし、新しい情報が増えたわけでもない。
なのに、その解釈が180度変わる。
これは凄い体験ですね。
ショーヘー
強烈な体験をしたことで、理屈ではなく実感として世界の見え方が違ってくる。
そういったことはあると思います。
それまでは「新興国で働くなら会社員として行くしかない」という固定観念があったのですが、「フリーランスでも行けるな」と思い始めて。実際、26歳でタイに行けたので決断してよかったですね。

フィリピンでの出会いが、ITの道に進むきっかけに。

初芝
それがフリーランスになることへ後々繋がってくるわけですね。
大学四年生の一月に全治四か月ということは、四月入社に間に合わないですよね?
どうしたんでしょうか?
ショーヘー
それが、全治四か月のはずが二か月で退院できちゃったんです(笑)
だから入社にも間に合って、そのまま産業用ロボットの会社で働いていました。
ただ、事故にあって以来のもやもやが消えず、一年で辞めました。
初芝
おお!凄い回復力!(笑)
辞めたあとはどうしていたんでしょうか?
ショーヘー
辞めた直後はお金がなくて、半年間営業の派遣をしていましたね。24歳の時です。
お金を貯めて語学留学に行こうと思って。
このときは「海外に行きたいから会社辞めたのに、何やってんだろうな」と思ってましたね(笑)
ショーヘー
それでフィリピンへ語学留学に行って。半年弱行ってましたね。
フィリピンでは勉強しながらもいろんな人に会うようにしていました。
特に、現地で働いている日本人に。
初芝
現地で働く日本人の話は参考になりそうですね!
でも、どうやって会っていたんですか?
ショーヘー
あらゆる手段を使いました。
会いたい人にFacebookでメッセージを送ったり、学校の仲間が人と会う時に連れて行ってもらったり。とにかく色々行動して。
その中で、マニラのエンジニア上がりの社長さんと会うことができたんです。
もともと会社を売却して資産はあるけど、暇だから会社を立ち上げたという人で。
初芝
行動力が凄い…!
その方との出会いがプログラミングを始めたきっかけになったんですか?
ショーヘー
そうですね。
どこでも働けるし、資本もいらないというのが新興国で働くのにピッタリだと思ったんです。
エンジニアの中には、「プログラミングの楽しさにハマった」というのがきっかけでなった方が多いですよね。
でも僕の場合、プログラミングの楽しさを覚えたというより、「新興国で働きたい」という目的のためにスタートした形でした。
ショーヘー
あと、YOYOさんという当時フィリピンで話題になっていた日系企業があって。
ITの力で人々の生活を変えた企業なんですけど。
フィリピンに僕が行ったのは五年ほど前なんですが、その時は通信環境がもの凄く悪かったんです。ねえ、とださん?
とだ
フィリピンの通信環境は今でも最悪ですよね。
ショーヘー
インフラが整っていないから品質が悪いのに、通信料がめちゃ高いんです。
物価が三分の一なのに、日本のキャリア並の料金なんです。
だから、携帯はあるのにプリペイドを使い切って「ただの箱」にしてしまっている人がとても多くて。
そのせいで緊急時にも連絡を取れないというのが社会的な課題でした。
ショーヘー
そこを、YOYOさんは広告を見ることで通信料のポイントになる”PopSlide“というアプリを作ったんです。
これのおかげで台風の時とか緊急時でもインターネットをできるようになったんですね。
これがまさに革命的で。
リリース直後に10万DLを達成して、フィリピン、インドネシア、タイ、ベトナムなどでDLランキング一位を取っていました。
初芝
凄い!
企業もユーザーも得をしながら、社会課題を解決する、お手本のような三方良しですね。
初めて聞きましたが、そんな企業が海外では話題になっていたとは…。
ショーヘー
このYOYOさんを見て、「こういうことがやりたいな」と。
新興国でビジネスをする以上、新興国ならではの課題を解決したいし、人々の生活に直結したいと思って。
これもIT企業の話だったから、ますますエンジニアに興味が湧いたんです。

「生まれた場所のせいで可能性が狭まるのが嫌だな」。興味から課題意識への変遷。

初芝
なるほど!
ちなみに、そこまで新興国にこだわりを持つ理由はなんでしょうか?
なんでこんな質問をするのかというと、僕が大好きな映画に「僕たちは世界を変えることができない」というものがあるんですが、まさに新興国支援の葛藤を扱っていて。
初芝
カンボジアに学校を建てるためにボランティアイベントを開催していた医大生の方の実話なんですけど。
その中の、「同じ社会貢献なら日本でもいいのに、なぜカンボジアなのか」という問いが僕にはとても刺さったんですね。ブログで記事にするくらいに。
この「あなたはなぜ他の活動ではなく、その活動を選ぶのか」は、社会支援をする全ての人が直面する問題だと思っていて。
ショーヘーさんがなぜ新興国に焦点を当てるようになったのかをぜひ伺いたいです。
ショーヘー
生まれた場所のせいで可能性が狭まるのがやだな、というのをこれまでの経験から思うようになったんですね。
その中でも特に印象に残っている出来事は、フィリピンでボランティアに参加していたときでした。
スラムに住む子どもたちを支援するボランティアだったのですが、それに14歳の少女が参加していて。
その子がなんとプログラマーなんですね。
ショーヘー
驚いて話を聞いてみたら、
「私はプログラマーで、普通の人の一日分のお給料を2~3時間で稼げるの。だから余った時間でボランティアに参加しているの。余裕があるから、恵まれてるから社会貢献をしないとと思っていて」
って言うんですね。
この子は14歳なんですけど、その時向かってたスラムには12歳くらいの子もたくさんいるんです。
たった2年の違いしかないのに、支援する側とされる側に別れている。
この事実がとても衝撃的で。
ショーヘー
もちろん、彼女自身がとても優秀だったり、努力家だったりということもあると思います。
でも、生まれた環境の違いも無視できないくらい大きいなと。
僕たち日本人は日本人に生まれた時点で恵まれてますよね。誰でも学校に通えるし、将来に夢を持つこともできる。
でも、少し日本から離れるとそれどころじゃない環境格差がある。
それから、「日本は恵まれているから、それよりも自分は新興国の支援をしたい」と思うようになって。
ショーヘー
もともとは旅人として回っていて、「こういう国で働けたら」という興味みたいなものは強かったです。
それが、フィリピンに行ってから課題意識が生まれた。
僕が新興国を強く意識するようになったのはそんな経緯ですね。
初芝
なるほど…。
リアルな体験を経て、興味から課題意識へと変わっていった。そのことがよくわかりました。

面接で落ちるも、二か月の粘り勝ちで入社した正社員時代。

初芝
それでフィリピンから帰国してからはどうしたんでしょうか?
ショーヘー
日本に帰ってからは、とにかく未経験からすぐにエンジニアになりたくって。
それでろくに情報もない状態だったけど、「未経験OK」て書いてるところをひたすら受けに行きました。
結果的に三社から内定をもらいました。
初芝
未経験でいきなり内定三社は凄いですね!
それでイーガオさん(ショーヘーさんが勤務していたWEB制作会社)に入社されたんですか?
ショーヘー
いえ、イーガオは一回落ちたんですよね。
未経験OKは求人掲載ミスだったらしく(笑)
「申し訳ないが、今は実務経験ある人が欲しくって」と言われました。
初芝賢
え!?
それでも結果的にイーガオさんで働いていましたよね?
どういう経緯で入ることになったんですか?
ショーヘー
諦めずにアタックし続けたんです。
僕は面接でも「2〜3年後には海外で仕事がしたい」と言ってたんですよ。
やる気を認めて内定をくれた他の会社さんも、その話に関しては苦笑いでした。
当然そうですよね。
現時点でスキルゼロのペーペーが数年後に海外に行きたいって言ってるんですから。かなり痛いやつです(笑)
僕でも苦笑いすると思います。
ショーヘー
けど、イーガオだけは僕の話を真剣に聞いて「いいね、面白いね」と言ってくれたんですね。
結果的に落とされたときも、「いつでも質問しに来てくれていいからね」と言ってくれて。
それで「ああ、ここに入りたいな」と強く思うようになって、他二社の内定は辞退しました。
ショーヘー
それからは勉強とイーガオへ通う日々が始まりました。
「いつでも聞いていい」と言っていたから、本当に聞きに行きまくって。
「Javaの勉強をした方がいい」と言われたからJavaの勉強をして質問に行ったり、「この勉強をした方がいい」というのを聞いたらすぐに実行してフィードバックをもらっていました。
そんなことを繰り返していたら、二か月後に入社させてもらいました。
初芝
多分、落とされた企業に「いつでも来てね」って言われて本当に行ける人は1%もいない気がします(笑)
バイタリティが尋常じゃない。
ちなみに、いつまで続けようと思っていましたか?
ショーヘー
入れてくれるまでやろうと思ってました(笑)
それで実力は全然だったけど、熱意は認めてもらえて。
それからは二年間社員としてガッツリ働きました。
ショーヘー
海外行くとなったときにも、「最初は安定しないだろうから、半分稼働したら?」と提案してもらえました。
なので、フリーランスになっていきなりお金に困ることもなかったです。
だからiSara立ち上げもできたり、フリーランスとして軌道に乗ることができたのかなと。ありがたいですね。

フリーランスデビューと、iSara初期メンバーとの出会い。

初芝
ついにフリーランスですね!
iSara立ち上げの経緯を教えてください。
ショーヘー
これは本当に偶然が重なった形ですね。
僕がタイに行ったのは、NomadListってサイトで三年くらいタイが働きやすさ一位で。
僕がしたい新興国でのビジネスという意味でもバンコクは入りやすいんじゃないかと思いました。
それでタイに行ったんです。
ショーヘー
今では有名になったAIS DCというコワーキングスペースがあって、最初はそこを拠点に仕事をしていました。
その写真をTwitterにあげてたら、マナブさんから「ここいいですね」と声がかかって。バンコクで久しぶりに合流したんです。
マナブさんとはフィリピン時代からメッセージのやり取りをしていて、東京でも一度会っていたので、この時が会うの二回目ですね。
ショーヘー
それで、マナブさんとそれぞれWEB制作メインのフリーランスをしていました。
そうしたら、マナブさんに「こっちでシェアハウスをやろうとしている友達がいて、内覧会を企画してる」と言われて。
僕もシェアハウスやってみたいと思ってたので、一緒に内覧しに行かせてもらいました。
そこでユーキくん染さんと初めて出会いました。
ショーヘー
この四人がみんな同年代でフリーランスをやっていたんですよ。
僕とマナブさんが26で、ユーキくんと染さんが25で。
境遇も似てるからすぐ仲良くなりました。
それでシェアハウスだけじゃなく、「四人でなんかやろう」となって。
それで立ち上げたのがiSaraでした。
初芝
急展開ですね!
ちなみに、iSaraをやろうってなったきっかけはなんだったんでしょう?
ショーヘー
「僕たちみたいに、好きな時に働いて好きなとこに行ける仲間を増やしたいよね」って話していて。
それもフィリピンの経験とリンクしてくるんですけど、働き方や人生の選択肢の幅を広げたかったからですね。
ショーヘー
あとは、当時のプログラミングスクールへの挑戦という意味もありました。
それまでは、スクールに通った後はそこから就職への斡旋というのがほとんどだったんですね。
けど、フリーランスを目指すプログラミングスクールがあってもいいんじゃないかと思って。
色々やってみた結論、今はやっぱり一度就職した方が無難だなと思うようになりましたが。
初芝
一般論と個別のケースは違うから、どっちがいいとは言い切るのは難しいですよね。

「仕事のことで悩んでいるのは、むしろ日本人」という実感。

ショーヘー
そうですねー。まぁ、それでもフリーランスになれるという選択肢は大切だと思ってます。
キャリアを重視するなら就職した方がいいと思うけど、いったん自由に働きながら世界を見て回りたいという人も多いと思うので。
そういう人にとっては、場所を選ばず稼ぐ手段を身に付けられるいい環境だと思います。
初芝
今、日本での働き方に息苦しさを感じている人も多いですよね。
そういう人にとって、「フリーランスとしても生きていける」という実感は心の拠り所になるかもしれないですね。
ショーヘー
そうですね。
iSaraはその国の人たちと直接絡むビジネスではないので、もともと僕がやりたいと思っていた新興国でのビジネスの前段階みたいなイメージでした。
でも、いざ始めてみたら「仕事のことで悩んでいるのは、むしろ日本人なのかな」と思うようになったんですよ。
東南アジアの人たちは、むしろ自分の人生にポジティブで、仕事よりも人生としての楽しみを優先する人が多い。
仕事は人生のツールと割り切れている人が多いんですね。
ショーヘー
iSaraを始めて「日本人の方が仕事に切羽詰まっている」と実感を持つようになったんです。
iSaraへの応募もものすごく人が殺到したんですよ。
一期は二日、二期は二時間、三期は5分で締め切って。やるにつれて認知度が上がっていったのもあるんですけど。
「好きな時に働いて好きな時に遊ぶ」「会社に属さない生き方」みたいなものをみんな求めているんだ、会社員生活に不満を持っている人はこんなに多いんだと。
とだ
日本だと気にしないといけないことが多いですよね。
監視の目が多いし、ルールが多くてしんどいと感じることが多い。
僕がドイツにいたとき、ぼろぼろの服を着ていても気にしなかったり、地下鉄でいきなり筋トレし始めたりする人とかいましたからね。
それでいてみんな楽しそう。
日本に帰って気づいたんですが、みんなめっちゃ疲れた目をしていますよね。
ショーヘー
ほんとですよね。今の日本人って、メンタルブロックみたいなものがかかってるなと思うんですよ。
僕も死にかけるまでその自覚がなかった。
外国で働きたいと思っても、駐在員になってから海外に働くということしか考えていませんでした。
でも、現地就職やフリーランスなど、実はいろんな選択肢があるなと。
ショーヘー
情報不足だったという面もあるかもしれません。
でも、『王道を外れる』『世間の目が怖い』というメンタルブロックの方がそれ以上に大きいんじゃないかな。
「そんなもの気にしなくていい」「いろんな人がいるんだよ」というのを伝えていきたいですね。
初芝
たしかに、やってみないとわからないことってありますもんね。
僕も昨年大手企業を退職しましたが、むしろ今の方がリスク下がってると感じていますし。
案外やれるな感とか、人との繋がりとか。
ショーヘー
そうですよね。世間で言われてるほどフリーランスは不安定じゃないと思います。フリーランスって、勤めている会社が複数になるようなものですしね。
最悪一社がつぶれても他があるし、という。
ただ、実力主義だから実力で判断されちゃうという面は一つのリスクですね。無駄な残業やポーズとか全く通じないし。
良くも悪くも自分の名前で働くことになりますよね。

“デイトラ”始動。働き方に問題意識を持ち、学習実践の場を創り上げる。

初芝
なるほど。
ショーヘーさんが今フリーランスの育成や情報発信を熱心に行っているのは、iSaraがきっかけだったんですね。
ショーヘー
そうです。そこから日本人の働き方に問題意識を持つようになったんですよ。
それで文章書くのがとても苦手だったんですけど、何か軌跡を残したいなと思ってブログも始めました。
僕の経験をもとにフリーランスエンジニアになるための工程をまとめたら、実際に行動してくれる人も出てきたんです。
ショーヘー
でも、道筋を示すだけだと途中でやめてしまう人がほとんどだったんですよ。
それが次の悩みになって。
やらないのは自己責任といえばそれまでだけど、おすすめした以上、すすめた人にも良さを体感してもらいたいじゃないですか。
せっかく頑張って苦手な記事を書いたのに、行動に結びつかなかったら読まれてないのと同じだし。これは僕のエゴなんですけど(笑)
ショーヘー

それで30日分のスケジュールを切って具体的にゴール設定して、絶対に続くようにカリキュラム化したのが30DAYSトライアル(デイトラ)だったんです。
WEB制作スキルを身に着けるカリキュラムをTwitterで公開しながら、それをサポートするSlackグループを立ち上げました。
それが今年の1月です。
初芝
デイトラの反響凄かったですよね。
実践者のツイートが毎日Twitterで流れてきました。
ショーヘー
たぶん、ああいうスキルシェア系の企画を無料でやってるのが珍しかったんですね。
有料noteは結構あったんですけど。
あと、Twitterで毎日課題が流れてくるのも珍しかったのかと。
それで一週間で1200人くらい参加者が集まりました。

そして、東京フリーランス立ち上げ。

初芝
僕とふなっしー(船越)がショーヘーさんとリアルで会ったのも2019年の1月ですよね。
ショーヘー
そのちょっと前にとださんと「最近SNSで出回ってる情報は信頼できなくなってるよね」という話はしていたんですね。
その課題解決になるようなことをやりたいねとも。
それで4/1に東京フリーランスをリリースして今に至っています。
初芝
今後、東京フリーランスでやっていきたいことはなんでしょう?
ショーヘー
関わってくれる人の可能性を広げられたらいいなと思います。
東京フリーランスをきっかけで目標にしたい人を見つけて、そこに向けて実現できるようにフォローアップできる形を整えたいです。
もちろん、その次の段階として現役フリーランスの人にも刺激になるようなコンテンツを投下してきたいと考えています。
初芝
ショーヘーさんはいつも遠めの目標を置いて、それに向かって目の前のことを着実に進めているイメージがあります。
ショーヘー
そこまではっきりはしてないですけど、いつもなにかしら大きめのテーマはありますね。
「新興国で課題解決になるサービスを作りたい」とか「人の可能性を広げたい」とか。
最近のフリーランス界隈を見てると、待遇面ばかりが注目されてて、『何のために』というビジョンを持ってる人は少ないなと思います
ショーヘー
働き方を独立視点で考えるんじゃなく、『どうやって生きたいか』という広い視点から考えるといいのかなと思います。
めざす生き方があるから、それに合わせた働き方をするという考え方です。
お金や働き方そのものにフォーカスすると、代替手段ができたらそっちに行っちゃうからぶれやすいんですよね。
それで何も成せない状態になるのが一番怖いなと。
ショーヘー
きっかけはお金でもなんでもいいけど、そこから大きな意味を見いだせたらいいですよね。
どんなに時給の高い仕事しても、そこに意義を見出せなかったり、楽しいと感じられなかったらつまんないですよ(笑)
僕もこれだ!と言い切れるようなビジョンはまだないんですけど、少し見え始めてはいます。
松下幸之助さんとか本田宗一郎さんとか、偉大な経営者はみんなビジョンを持ってるじゃないですか。
そういう意思があるからこそ成功すると思うので、ただビジネスをするだけじゃなくて意思も持っていきたいです。
初芝
ショーヘーさんのこれからの展望を教えてください。
ショーヘー
これからはチームでやりたいことをやっていきたいと思っています。
一人だと意思決定は速くて動きやすいけど、遠くまでは行きづらいと思うんですよ。
個人ではどうしても限界がある。意義あることをやりきろうとすると、一人では難しい。
僕は個人でやりたいことはだいぶやり切ったので、これからは理念に集ったチームで活動していきたいなと。
その方が面白いかな、とも思います。

それをあと数年でやりきって、そのあとはアフリカ行きたいな(笑)

初芝
長時間のインタビュー、ありがとうございました!
これからもよろしくお願いします!

おまけ:ショーヘーさんの我が一冊『水滸伝』


ショーヘー
大志を抱いて生きる意味を学べる一冊です!

中国三大奇書(水滸伝・三国志・西遊記)の1つである水滸伝をハードボイルド小説・歴史小説で有名な北方謙三氏が小説化したものです!司馬遼太郎賞も受賞した名作。
108人の若武者を中心とした梁山泊軍が、1つの志の元に集い、腐敗した国家と闘う壮大な物語です。

何か新しいことを始める時はいつもこの本の梁山泊軍(反乱軍)のこと思い出しますね。
梁山泊軍は、最初はたった2人の思想からスタートして、最後は中国国家軍とタメ張れるところまで規模拡大するんです。
なので、何かを始めるときは梁山泊を思い出して「小さくてもここからスタートだ!」って思ってます。

あとビジョンやコンセプトを大事にするようになったのもこの本を読んでからですね。
ビジョンで繋がる関係は、利害関係だけじゃ絶対に出せない力がでるし、そういう仲間こそ何よりも大事にすべきとこの本に教わりました。
現代人が忘れかけている、大志を抱いて生きる意味、心の有り様が学べる1冊です!(20巻あるけどw)

・ショーヘーさんのTwitterはこちら⇒@showheyohtaki 
・ゲスエンジニアとださんのTwitterはこちら⇒@cohki0305 
・編集長初芝賢のTwitterはこちら⇒@hatushiba_ken

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